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青の洞門(耶馬溪、大分県) [150613-14別府・宇佐]

2015年6月13日-14日別府・宇佐

6月に、陸マイルで交換した特典航空券(羽田—大分空港)で、別府に行って来ました。

合元寺(赤壁寺)(大分県): http://yoshy-papa3.blog.so-net.ne.jp/2015-11-23の続きです。

中津耶馬渓観光協会: http://www.nakatsuyaba.com/
青の洞門: http://www.city-nakatsu.jp/kankodocs/2013080200107/
禅海和尚が掘った洞門(トンネル)で、耶馬渓の競秀峰の裾野に穿たれている。諸国巡礼の途中に耶馬渓へ立ち寄った禅海和尚は、難所であった鎖渡で人馬が命を落とすのを見て、慈悲心から享保20年(1735)に洞門開削の大誓願を興した。禅海和尚は、石工たちとともにノミと鎚だけで掘り続け、明和元年(1764)、全長342m(うちトンネル部分は144m)の洞門が完成した。寛延3年(1750)には完成し、通行料を徴収して、日本初の有料道路とも言われている。当初は樋田の刳抜(くりぬき)と呼ばれていたが、江戸末期から大正にかけて樋田のトンネルや青の洞門と呼ばれるようになり、昭和17年に大分県の史跡指定にあたり、青の洞門が正式名称となったようである。明治39年から翌40年にかけて行われた大改修で大部分が原型を破壊されたと言われており、現在の青の洞門には、トンネル内の一部に明かり採り窓などの手掘り部分が残っている。 HPより抜粋、一部改変。

中津市街から国道212号線(日田往還)を南下して耶馬溪に向かいました。
大きな川(山国川)の手前を左に入りました。
トンネル内は一方通行でしたので、信号が変わるまで待ちました。
732青の洞門1.JPG
トンネルを過ぎてしばらく行くと無料駐車場があります。
ここに駐めました。
その後、トンネルの方に戻ります。
732青の洞門2.JPG
歩道の左側の川の方に岩の隙間がありました。
732青の洞門3.JPG
少し覗いてみると通路の様になっていましたが、もう若くないので覗くだけにしておきました。
732青の洞門4.JPG
さて、洞窟の中に入ります。
732青の洞門5.JPG
フラッシュは炊いていませんが、画像ソフトが自動で見やすい様にしてくれました。
この方が、この洞窟を掘った禅海和尚さんです。
732青の洞門6.JPG

732青の洞門7.JPG

732青の洞門8.JPG

732青の洞門9.JPG
この窓の向こう側が山国川です。
732青の洞門10.JPG

まだまだ続きます。

昨夜の体重は、66.0kg(目標は64kg台なのですが)。
昨夜から見たTVドラマは、あさが来た、東京 ウエストサイド物語、青春探偵ハルヤ~大人の悪を許さない!~(11/19)。
昨夜の酒は、白ワインを1/2本と、
151201白ワイン1.JPG
ジン ボンベイ・サファイアを水割りシングルで1杯。
150707ジン ボンベイ・サファイア3.JPG
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コメント 7

caveruna

洞窟って、なんか興味をそそられます。
なぜでしょう(笑)
by caveruna (2015-12-03 16:07) 

タケサバス

和尚すごいっすねΣ( ゚Д゚)ハウア
ムキムキかと思いきや小柄な亀仙人のよう∑( ゚Д゚)ハウア
by タケサバス (2015-12-03 18:41) 

とし@黒猫

手彫りで岩をくり抜くのは気が遠くなります。
by とし@黒猫 (2015-12-03 18:54) 

こちさ

苔の色がいい感じですね~♪

>朝食のサラダが、トマトとキュウリで
遠目にはキュウリに見えますが、アボガドです^^
by こちさ (2015-12-04 02:30) 

ぼんさん

青の洞門は聞いたことはありますが、このような場所なのですね。 機会があれば訪れてみたいです(^.^)
by ぼんさん (2015-12-04 07:57) 

耶馬溪原人

洞窟に惹かれるのは生まれる時に通るからでしょう。
ここは、当時のまま保存してたら値千金ですが、、何と!!
何故国道を通してしまったのか馬鹿な人間達です。
価値としては1/1000に下落してます。
往時を偲ぶにはかなり無理が有ります。
川向こうには新しく道路が出来ましたが遅過ぎ。
昔のトンネルはまだ小さかったのですが、拡幅して更に更にですよ~~
良いですか皆さあ~~~ん!!じゃぱねっとでは有りません。
地面は大穴が明いて雨水が溜まる酷道でした。
史跡を壊した馬鹿な人間は誰だか知りませんが、昔は住んでた人間でした。
以上!!。
by 耶馬溪原人 (2016-02-20 11:01) 

耶馬溪原人

私が住んでた頃は耶馬溪村でしたがやがて町に成りいよいよ
市に成りましたが喜ぶ所では有りませぬ。
ジジイとババアばかりで人口が減り市に吸収されたのです。
何処の町でも起こりうる寂しい現実ですね。
中国地方でもあちこちツーリングしてるとハイオクガソリンでは無くて
林に成り掛けた廃屋が幾つも有るのを見ると寂しく成ります。
耶馬溪は当分前から高校も分校らしいですよ。
私が暮らした50年前から過疎化は進んでました。
若い人はどんどん子供作って下され。
by 耶馬溪原人 (2016-02-20 11:16) 

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